仕事漬け

相変わらず、軽く病みながら仕事してます。

 

過去のエントリーは恥ずかしくて読み直せないけど、

なんていうか、本気で生き抜いてたような、働き抜いていたわけで

その具体的な内容はともかく、その姿勢や気持ちを否定はできないと思う。

 

問題をどうこうするべく考えて、なにか行動に起こすのと、

問題の重みや内容に手足も出せず、ただ悩むのとは、違う。

この差が身にしみてます。

 

これといった趣味もなく、死後になったネットサーフィンもしなくなり、

ゲームも楽ちん簡単なのが好きになり、読書もたまーにするだけで

音楽はずっとおんなじのを聞き続けています。あとはyoutubeで動画を見て…

生活は平凡です。仕事と収入が、生活を彩るのも、身にしみました。

 

仕事をすることは大変で、綺麗事もあれば、事実は小説より奇なりを

地で行く出来事もたくさん発生します。下手なドラマよりもよっぽど

人間の業やらなんやらを垣間見ることもあります。そしてげに恐ろしきは

自分自身の業や下世話さに、ふと気付くことです。

所詮自分もまた、人間であり、社会に生きる動物なのだと、忘れては

思い出し、忘れてはまた思い出し…をひたすら繰り返している気もします。

 

そんな最近です。

自分が何者なのか、自覚するのが難しく、しかし、

それに終始できるほどの余裕を持つのも難しい。

社会や他人のせいにすることもできるけれど、それですべてが

解決するのかどうかもあやしい。

 

我慢と努力を続けなければ、ホームランやヒットを打てないけど

それらを続けるのも、なかなかにしんどい。

生活のためと割り切れば、ホームランもヒットも打てなくても

良いのかもしれない。けれど、それがモチベーション低下につながったり

周りに人が集まらなくなるおそれもある。

 

欲しいものがあって、そのために働けたら良いのかもしれません。

自分のお金なのか生活なのか、能力なのか仕事なのかは、人それぞれだし

その時々で変わって良いと思います。家族や生活を守ることは大切だし

そのために何かを切り捨てるのは、止むないことだと思います。

 

もしくは、家族や生活を犠牲にしてでも、自分の能力や仕事を優先するのも

やはり止むないのでしょう。前者と後者は、両立できれば理想なのですが

現実は片方をとるだけで精一杯の場合がほとんどなのでしょう。

できることは高が知れている、というのは、恥ずかしくても

しかし、悪いことではないと思います。

 

いまは去年よりも、労働環境がましになりました。

悪く言えばきりがないから、多少のことはスルーすると決めたのが去年。

今年はどんな年にするのか、決めきれずに、今年がくれてきました。