だれかとわたし

朝晩はすっかり涼しくなりましたね。
もう秋です。夏の始まりとともに異動して、
夏の終わりとともに、異動しています。疲れるわ。


いまの異動先で失ったものは、自分の自由な時間です。
ほかは大して失ってないと思います。

自分の時間を通勤にとられまくりで困ってましたが、
今度はうちから自転車で10分以内になるので
かなり楽になります。睡眠時間さえあれば、ね。
ただ、会社になんだか弄ばれてる感もあるのですが…。


得たものはたくさん。やっぱり仕事を通じた自分の
存在意義ですかね。能力や人格を含む、存在そのもの。

思った以上に、自分が通用している!
という実感があります。これは今までにない手ごたえです。
誰かや何かと比較して、自分の存在を理解したり
把握したりできるんだなと思います。

この比較がこじれると、あれこれ厄介なのですが
そこはやはり、曇りなき眼と健全な精神が必要だと
しみじみ思います。自分がなんでも完璧で、
仕事も人間関係も完璧にできている!
などとは思わない、というのが始まりなのかも。

ただ、いつでもどこでもなんでも、自分だけが通用している!
というわけではないと思います。
誰かを通したり、誰かと一緒に、誰かが不可欠で、
自分は仕事をしていると痛感することも多いです。
これが組織で働くことの始まりというか、組織に身をおく上で
不可欠な意識なのかなと思います。


誰かがいてくれて、誰かがやってくれて、
誰かがいようとしてくれて、誰かがやろうくれようとして、
そこに自分が加わって、組織になると痛感してます。
組織になりつつ、仕事になりつつ、それをどうにか
バランスを取るのが、経営とかマネジメントの
実践的な部分だと思います。

そんなに難しい用語や考えは必要ないのかも?
なんて思ったりします。
仕事はするものであり、とにかく仕事してみてから、
なんらかのカタチになって、あれこれ考えられるのかも。


こんなの、人によっては当たり前のことかもしれません。
ですが、実感してはじめて、自分なりのカタチができたと
思います。まだまだ脆いカタチなので、次の異動先で
どうにかカタチを培いたい、と思っています。