今週のお題「部活」「青春の1ページ」

今週のお題「部活」

 

文章を書く、ということを身近にするために、とりあえずお題に沿ってみる。

所属していた部活は、中学時代のソフトテニス部。

小学校は合唱部とパソコン部だったけど、これらはほとんどお遊びで

いわゆる青春の1ページといえるのは、ソフトテニスだと思う。

 

都大会に出れるか出れないか、微妙な強さだった。

小学校から続けているメンバーが強く、彼らが中核となって活動していた

部員の数は常に不足していた。おそらくその理由は、練習量だと思う。

毎日、放課後は部活動がある。土日も校庭で練習か、最寄りの中学へと

練習試合へ出かけていた。休む暇も遊ぶ暇もなかった。

 

毎日、ひたすら部活だった。

土方焼けのように日焼けして、プールの授業で女子に笑われたり、

床屋へ行く暇が無く、髪がぼさぼさに伸びてしまい、生活指導の体育教師に

注意されたりしたのを覚えている。

小学校でテニスを辞めたクラスメイトは、その話題になると、

いつもうつむいてしまった。毎日の練習は過酷だったんだろう。

残念ながら、良い思い出にはならなかったようだ。

 

青春の1ページといっても、甘い思い出はない。

私は結局、2年生の冬には部活を辞めてしまった。

人間関係をうまく維持できず、学校生活に軽く支障をきたすような

トラブルを起こしていた。私は加害者でもあり、被害者でもあった。

 

結局、自分自身をコントロールできなかったのだ。

毎日の部活も、通わされた塾も、私にとってやりたいことでは一切無かった。

全然やりたくなかったのだ。やりたかったことはいえば、インターネットに

入り浸ることだけだった。それさえ、やりたかったのかと言われると、

微妙なところでもある。

 

本当にやりたいことは見つからなかった。

しかし、そういうものや夢を見つけるよう努力しろとか、

見つからないなら勉強しろとか、そういうことしか言えない大人たちに

体よく脅迫されていたとさえ思う。

 

しかし、彼らも被害者であり加害者だといまは思う。

当時の大人たちだって、やりたいことなどなかったのだと思う。

だから、子供に教育や愛のムチという建前を押し付けてくるのだろう。

彼らも見つけられなかったから、とりあえず「勉強しろ」と言うのだと思う。

 

たしかに「勉強すれば、部活すれば」不要な失敗は避けられるのだろう。

それが合言葉なのだ。無難こそ幸せ、という世の中の価値観を

反映しているように思う。良くも悪くも無い、そういう人生を歩む保険を

得るために勉強や部活をやっとけよ、という意味でもあったのだと思う。

だったら最初からそう言えよ、と思うが、そうも言えないのが大人なのだろう。

 

こういう毎日が、私の青春の1ページというか、全ページのようなものだ。

もっとも、今更大人たちを批判するつもりは、あんまりない。

私もある程度は歳を重ねて、当時の彼らと同じ年齢に近づいてきた。

無難こそ幸せ、というのは非常に重要だ。

しかし、それは人によって違うのが厄介なところなのだろう。