27歳のための自分、おめでとう

きのうは27歳の誕生日でした。
京都旅行の代償として、6連勤目が誕生日。
ずっとそんな感じで誕生日を迎えてます。


山崎12年の水割りを飲みながら、
キーボードを叩いてます。仕事がすごく充実してるので
お酒も美味しく飲めてます。

ただし、仕事はロスを前提として、
売上の向上を目指しています。
ロスがやばい! でも、売上の伸び率も悪くない!
そんな部門を担当し、責任も仕事も果たしているつもりです。


久々に、そういう因果応報のはっきりとした
仕事に挑めています。これが商売だなぁ、と、
辛くも楽しくも思えています。
ただの会社員だけど、やっぱりそこは当事者として
失敗も成功も、挑戦も無難も味わっています。
どうせやるなら、うまくやりたいですから。

そして、前の職場のかわいい後輩たちも
こちらを心配させまいと、頑張っているようです。
彼らが頑張っている、というのは、彼らの周囲の人々が
口にしているので、本当に頑張ってるんだなと思います。

それが成果を達成し、評価を手にするということだと
自分でも、自分の後輩でも、実感するところです。
自分による自分への評価も、必要ならすれば良いけど
それよりも、他人による自分への評価こそ、
かけがえのない無為な存在とされるべきだと思います。

他の誰でもない、大切な自分。
ひいては、他の誰でもない大切な、あなた。
そういう存在になるのが、社会に生きるとか
社会で人材になる、ということなんだと思います。


そして、自分が、そんな人材であることを、
上司からも、同僚からも、育てた後輩を通して、
ちょっとでも証明できたんじゃないかな、と思います。
それが、過去から頑張り続けた、自分自身からの
誕生日プレゼントなんじゃないかな、なんて思ったり。


有為な人材になるために、がんばった仕事。
好きな服を着られるやせた体のために、がんばったダイエット。
好きな時間を過ごすために、あれこれやった休日。
頭をからっぽにするために、あちこち行った旅行。
気分を変えたい時のために、あれこれ聴いた音楽。
それらを支えるべく、あれこれ食べた食事。
好きな人のために、磨いた下世話なトーク力。
嫌いな人のために、嫌われる勇気や相手を流す余裕。


とにかく、後先や希望のために、がんばろうとする自分。


すべては、過去に希望を持ってがんばった自分のおかげ。
もっと自分を好きになって良いと思います。
それも、あがき続けた、いまから地続きにがんばってきた
過去からの自分を。それが、誕生日を祝うということだと
なんとなく思いました。

生まれて、生きてきたことを、しっかり祝いたいです。
そして、来年はもっと良い誕生日になるように、
いまを切実に大切に、生きていきたいです。