明らめろ

未来に希望 過去に可能性 現状に行動
結局はお題目になっちゃったかなぁ、と思いますが
自分なりの人生のコンセプトとしては、悪くないかな。


2014年は、欲しい物事がたくさんありました。
仕事、先輩、後輩、環境、退職、転職。
いずれも自分の手の届く範囲で、入手することができました。

理想的な範囲までは届かずとも、現実的なところで
欲しいものが手に入ると、自分の努力が報われたと感じ、
すごく嬉しかったのを覚えています。しかし、自分の
伸ばした手に、良し悪し含めた成果が出に入っただけでも
ありがたいと感謝すべきだと思います。

自分の伸ばす手に、誰かの手が重なったり、
伸ばすのを躊躇する手を、引っ張ってくれたりしました。
これは特に嬉しくてありがたくて、感謝しています。
物事の経験よりも、誰かとの協力や協働のほうが
ずっと得難く、ありがたいと思っています。


やればやるほど、物事が見えてくる。
見れば見るほど、物事が分かってくる。
物事が分かれば分かるほど、それと関わる自分も見えてくる。
自分が見えてくれば見えてくるほど、自分も分かってくる。

肝心なのは、物事と関係する自分に、
限界が見えたり、分かったりしたときだと思います。
今の自分では限界だ。壁を感じる。ぶち当たっている。

問題を発見して定義できても、それは解決に向けての
スタートラインが見えただけ。立ってすらいないと思います。
スタートラインに立つことができた時は、問題ときちんと
向き合えた時だと思います。目を背けては立てていません。

もっとも、何でもかんでも問題だとして、解決を図るのが
正しいとは限らないのも、厄介です。
問題と自分との関係を、きちんと見て取る必要がありますね。


ともあれ、物事と自分の間に、いつも壁や限界を
感じ続けて、それをどうにかしようと、ひたすらあがいた。
そんな1年だったと思います。決して理想どおりにはいかず、
理想を夢見ることに、疑問を抱いたこともあります。

理想はあくまで、現実をどうにかするエネルギーとして
思い描いていれば良いのではないか? 目指しながらも、
少しずつ達成が近づくたびに、より遠くに設定したほうが
現実や問題を、もっとぶち壊そうとするのではないか?
理想は常に高く先に置いてある、ということ自体が
大事なのではないかと思います。まだ結論じゃなくてね。


今より先の未来には、希望や理想を置いておく。
そのせいで、現実や現状には壁や問題が発生する。
しかし、現状は過去からの地続きにあると思えば、
過去から解決や突破のヒントや経験があるかもしれない。
無意識にも、過去の経験や蓄積を思い出し、
知識や技術に変換し、現実を突破している時が多い。

そう思えば、過去を振り返ることに意義がある。
未来を目指すべく、現実を突破すべく、過去を振り返る。
そんな過去は、きちんと記録しておくと、振り返りやすい。
だから日々の記録は重要になる。もっといえば、
記録すること自体も、現状を把握し、未来を設定し、
過去を意識することにつながっている。

ただし、過去は可能性のかけらが散りばめられているだけで
知識や技術そのものではない、という場合が多いです。
だから、過去に囚われてしまう。むしろ、自分から過去に
囚われようとしてしまう。それでは、未来も現状も
へったくれもなくなってしまいます。

あくまでも、過去には可能性を求める。
もし、なかったら? 過去は振り返るべきではなく、
あくまでも現状を見つめるしかないのだと思います。
可能性にすがるだけなら、現状の可能性を活かすべく
現状をあがいたほうが良いかもしれません。
どうせ行動をするのは、現状という現実ですから。


話が長くなってきました。
未来に希望 過去に可能性 現状に行動
これらを昨日よりは、具体的に書けたかと思います。

そんなコンセプトを得られた2014年は、本当に
良い年だと思います。ひたすらあがいた甲斐がありました。
欲しい自分が欲しくて、欲しい関係が欲しくて、
欲しい居場所が欲しくて、会社や仕事を通じて、あがきました。

そして、欲しくない自分と欲しくない居場所を
手放したくはない仕事を手放すことで、手放しました。
きつかったです。しんどかったです。
しかし、そこでもどうにかあがいて、転職できました。


諦められることは諦めました。
諦めたほうが良いことも、諦めました。

ただ、諦められないことや、諦めきれないこと、
諦めたくないことだけは、諦めませんでした。

そんな1年でした。
1年前からそうやってきた自分を、誉めてあげたいです。