うまい行動までの、うまい行動

これが一番良い! と思える物事が、

どうしても見当たらず、考えきれずにいます。

その糸口や、手がかりらしき物事はたくさんありますが、

物事と言うにしては、価値観や思想に近い物事と言えそうです。

 

つまり、良いと思える事は、常に変動しているように思います。

この時、この場所、この状況、この相手、この自分。

物事に関わる要素が、移ろいやすく変動し続けるものが多いと

どうしても固定的な観念では立ち向かえなくなります。

 

とはいえ、物事をうまく運ぼうとしなければなりません。

仕事でも生活でも、責務も義務も責任もあります。

どうせ逃げられないのです。ならば、うまくやりたい。

「やらなければいけないなら、うまくやりたい」

この観念は、自分の中ではポジティブで有用な固定観念だと

思っています。ネガティブで無能な固定観念も多そうですが。

 

 

「どうせやらなければいけないなら、うまくやりたい」

この固定観念のもとに、変動し続ける要素を相手にするには

「うまい」という、概念を定義しなくてはなりません。

そして、「うまい計画」

法律・経済・倫理・現実・理想・自他含む人間…

あらゆる社会的な概念の「良し悪し」を踏まえる必要があります。

 

「良し:悪し」が分かれば「うまい:うまくない」も

自然とわかっていくのではないか、と思っています。

ここでの変換作業が、いわゆる思考の出番だと思っています。

まだ具体的な行動ではないからです。

 

しかし、あらゆる概念と概念を照らし合わせて、

そこから良し悪しを見出し、さらにそれを踏まえて

何がうまいのか、なぜうまいのか、どうすればもっと

うまくなるのか…あるいは、何がうまくないのか、

なぜうまくないのか、どうしたらもっと悪くなるのか…

 

うまいかうまくないかの判断は、まずは思考してみて

イメージを膨らまて良し悪しを想像したり、あるいは、

過去を調査すれば分かります。実績があると理解しやすくて良いです。

いきなり行動をして、成果を目指しても良いのですが、

コストパフォーマンスやリスクリターンの大小によっては

いきなり行動するのは難しいと思います。だから、思考が必要なわけで。

 

 

思考を巡らせて「うまい概念」を見い出すと、

それを達成する「うまみ」もまた見出だせたと思います。

いわゆる、バリューというものだと思います。

ただ、バリューというには、まだまだ荒削りですし、

最悪、ただの妄想にも近い概念や思考だとも思います。

 

ただし、自分にとっての「うまい」が、かならずしも

社会や組織にとっての「うまい」ではありません。

その2つを合致させなくては、社会からは疎外されます。

それでは、仕事も生活も、うまくやっていけないわけです。

ここでも思考の出番ですね。本当に大丈夫かな? と思考をすすめて

「うまみ」をより現実と照らし合わせる必要があります。

 

思考と調査と分析の出番となります。

あれは本当にうまいのか? という思考、

うまいといえる証拠はどれなのか? という調査

証拠を探し、証拠とするには、どうすれば良いのか? という分析。

これを繰り返せば、「うまみ」は現実に則った価値や理想となり、

それらが確実に宿る、目的や目標などのお題目である

イシューに分かれていくと思います。

 

バリューとイシューを、言葉として出さなくても良かったかな、

とも思うのですが…ここまで書いて思ったのが、自分の

文章術ももちろん、語彙の狭さによって、表現し尽くせないことです。

もしくは、表現に至るまでの思考も弱いとも思います。

まあそんなことはさておいて。

 

 

「うまい概念」を見出したら、それをもとにして

「うまくやる」という行動を見出さなければなりません。

行動でなくとも、事業やビジネスなんてものにも

言い換えられると思います。

 

とりあえず、今回はここまで。

うまくやる、という行動ももちろん大事なんだけど、

それに至るまでの、うまい思考も必要だよね、という話でした。

 

 

うまみ、という単語、いつまで使い続けるのかな。