2014年、野心とスタンス

今週のお題「私の年末年始」

というか、今年の目標です。お題に微妙にかすっていたので

お題をぽちっと押して見ちゃいました。

 

あけましておめでとうございます!

今年もよろしくお願いします。

 

毎年、お正月にはその年の目標を、いちおうここに書いてます。

mixitwitterFacebookはてブが、主に活用しているSNSなのですが

思えばmixiには、今年で9年目のお世話になるようです。ひえええ。

 

もっと古いウェブサービスは、リヴリーの満10年と11年目突入です。

リヴリーガラパゴスまっしぐらな感じなのに、ヤミーのおかげで

現金100%回収おいしいですサービスだよね。あれはすげえ。

ほかのSNSアカウントとの連動はしているみたいだけど、

相変わらずスマホには対応しないのもすごい。

 

hotmailが最古参でしたが、放置しすぎてアカウントは消えました。

hotmail.comアカウントって、生きてるのは生きてるのかな?

SNSは、面白さや有用さが尖ってないと、まず流行しない気がします。

利用者数や人口が増えないと、続かないもんね。

その点、hotmailなんかは人口現象を防ぐような

維持運営が前提となりそうだから、そういうベンチャー性は

いらないんだろうね。採算が合えば良いんじゃない?

 

そういうIT技術の革新とともに、思春期を過ごしてきたのが

なんとなく自分の世代を感じさせます…

なんという話は今回にする話じゃありませんでした。

相変わらず、脱線ばっかりしそうになりますが、

こうしていざ書き出すまでが遅いので、書くのが止まらなくなるのは

良いことだと自認しておきます。脱線さえしなければっ。

 

 

脱線するクセと、脱線した先でも暴走するクセ。

この2つを、今年の目標に活かせたらなぁ、と思ってます。

まず、自分のすでに持ってる能力を見知り、活かすのが

強みを活かすことだ、とも思うからです。

 

それを踏まえて、今年の目標は、

自分のスタンスを意識すること。です。

 

できれば、見出したスタンスを、創造したり壊したり再構築したり、

そういうサイクルも回していきたいです。が、まだそれは難しいかも。

知らないもの、無いものは、どうこうできないからです。

まずは意識して、発見しないと。

 

そもそも、スタンスって何さ、という話でもあります。

自分や人間性が立脚している、その立場そのものだと思ってます。

 

うどん好きか、そば好きかの2択を選択した際の、選んだ先が

この2択におけるスタンスとなります。

うどん好きなら、うどん好きというスタンスで

話をしたり、行動を取ったりするでしょうし、

そば好きなら、そのスタンスでやっていくことになります。

 

なぜそれなのか?

そこでどうやっていくのか?

という疑問や状況や性質もまた、立っているスタンスが

おのずと説明する場合もあれば、自分が立つスタンスである以上は

自分から説明する場合もあると思います。

スタンスってそんなもんです。別に変えても良いと思います。

普段はうどんでも、その時はそばにしたければ、

そばを食べちゃいます。スタンスが縛ることはありません。

 

スタンスがは、縛るものでも浮気症なものでもないです。

そこに立つ人間が浮気症なだけだと思います。

でも、責任や仁義の問われず、誰かや何かに損害が及ばないなら、

ひょいひょいと変えても良いと思います。

スタンスに縛られる、というよりは、自分で固執して縛っている、

というのだけは避けたいと思います。

それがスタンス(というか自分)とのつきあいかただと思います。

 

そんなスタンスを意識するのが、自分の気持ちや欲望であり

野心という言葉にまとめたいと思います。

きのこの山とたけのこの里、どちらかが好きというのに留まらず、

自分の愛する方を世に推したい! というのが野心だと思います。

こんなに素晴らしいものがあるんだから、みんな気にしなさい!

みんなもこうしなさい!! という気持ちや欲望は、

社会に対する野心といえると思ってます。

 

そんなスタンスと野心を見出したところで、

やっと自分の目標を表現できる言葉を見出したと思いました。

 

 

一昨年や去年は、目の前のことに対応する自分になる、

というものでした。そこに自分の主体性となる、

野心とスタンスを足そうと思います。

時と場所と機会に合わせる、のを前提にしつつも

そこでの有為な自分やその能力を出す、ということがしたいです。

 

物事に合わせれば良いというのは、物事に取り組んでいるようで

ただ作業としてとらえ、流しているだけだと感じたからです。

何かと自分を、できればがっちりと合わせてから、

うまく運ぶべく、フル回転させるべきだと思いました。

野心とスタンスを持つ自分が、物事をいずこかへと押し進めるのです。

いずこかという目的は、野心とスタンス次第です。

 

そこでは、俺が俺が、という自意識やナルシスト的なところが

どばどば溢れそうです。もちろんそういうところも注意したいです。

野心とスタンスとはいえ、そういう肥大化する自意識が必ずあります。

そういう自意識からは、絶対に逃げられないので、逃げずに踏まえて、

社会における自分の腹に、野心としてやっていくようにしたいです。

 

欲望と理想と現実のバランスがとれた、燃えるエネルギーである野心。

クリーンな燃え方と燃え殻を持つスタンスにしておきたいです。

公害になるようなエネルギーや燃やし方は避けたいです。

 

そんな野心を制御するためには、それを受け入れる器や

行き先をもたらす方法も必要です。

もしかしたら、有為な行き先や方法から、脱線するかもしれない?

ふと脱線して、暴走しているかもしれない?

野心がただの欲望や自意識と成り果てて、理想となるスタンスから

外れているかもしれない。それはまずいと思います。

 

モチベーションが上がらない仕事や出来事があるのは、

それらと自分の野心と合わないからだと思います。

また、いくらモチベーションが高くなっても、結果としては

まるで意味や価値のない成果をあげてしまうかもしれません。

それは、脱線しているからであり、スタンスを取りきれておらずに

取り組んでしまったからだと思います。

 

だから、何かで失敗をしたとしても、取り戻せるように、

野心とスタンスを発見し、確立したいと思うわけです。

あるいは、良い成果をあげた時は、それと野心とスタンスが

かち合う理由を模索して、次に活かせたらとも思います。

 

 

でも、脱線したとしても、脱線したと分かれば、戻れば良いはずです。

失敗したとしても、そこで失敗の形や理由を学習すれば良いはずです。

あるいは、脱線や失敗したところでも、それなりに価値のある何かが

見つかるかもしれません。脱線や失敗を恐れずに、しかし、

脱線と失敗の可能性も、意識していたいとも思います。

 

結論としては、スタンスや野心がどうあれ、

物事がうまく運べば良いわけです。

 

俺が俺が、というエゴやナルシスト意識にとらわれるがあまり、

かえって、物事がうまく運ばせられないかもしれません。

それだけは気をつけたいと思います。黙ってないといけないな、

という時は、我慢して黙っていなくてはいけないわけです。

我慢してうまくいくならおいしいもんです。絶対に悔しいけども。

我慢も行動であり、大人の領分であると身にしみて分かってきたので

どうにか我慢したい。ぐぐっとね。

 

 

そんな今年にしたいです。

欲望と理想の野心、それを実現するスタンスや方法。

そんな2つを見つけて、それらをもとに生きて、

脱線して失敗して、でもがんばって生き直し続けて…。

必要ならば我慢。自分に忍耐して、

自分抜きでもうまくいく周囲を活かす。

 

 

再来週あたりには、もう忘れてそうです…