仕事のうまみ

そろそろ今年も終わりですね。

と考えてみると、何故か妙に焦ったり驚いたりします。

なぜ?

 

 

今回の日記も仕事で申し訳ありません。

生活に関する記事を書いてみようと、模索したり考えたりしてますが

かたちとして構築したり実践できたりしてません。

bitlyに登録したブックマークに関する記事を書こうとか、

生活における仕事以外の面や点も触れたいのですが…やってない。

 

 

さて、今回の本題です。

今回は、職場に必要のない人材について、部下の異動をきっかけに

考えて記事として書いてみました。

会社や組織に必要のない人材、という大枠の話ではなく、

もっと具体的な枠での話をしたいと思います。

 

いくらでもある会社の中の、その中の細分化された組織の中。

株式会社Aの、第三B部門の職場、C担当のDという従業員。

職場という枠の中の個人は、人材として必要なのか?

という話です。

 

A会社のB部門にて、Cを担当として仕事をする、Dという人。

 

Dは、どう仕事をしているのか? その成果が出せているのか?

量をこなせば成果をあげたことになるのか?

量がなくとも質が良ければ成果をあげたことになるのか?

 

逆に、Dは、仕事をしていないのか? 成果をあげていないのか?

モチベーションとして、仕事にやる気があるのか? やる気がないのか?

方法や気概はともかく、成果をあげているのか?

 

仕事にあたる人材として、能力があるのか? 経験があるのか?

そのいずれかが無いとして、全くの初心者だったとしても、

仕事に対する姿勢や具体的な方法は持ち合わせているのか?

持ち合わせているかいないかはともかく、成果はあげているのか?

 

Dという従業員に対して、どういう視点を持って見るとしても

やはり、成果を出せているかどうか? がカギになると思います。

 

こんな話じゃ、ドラッカー厨と呼ばれてしまいそうですが…

しかし、利益追求を存在意義とする会社や企業においても、

無尽蔵に仕事が出てくる(だけマシかもしれない)組織や職場においても、

利益や貢献につながる成果をあげているかどうかは、

そこで働く人材としての個人に、求められる要素だと思います。

 

儲からなければ商売は成立しません。

具体的には、最初に投下した経営資源を上回る見返りが無ければ、

商売が成立しないと思います。例えば、100円が90円になっては損です。

しかし、最初の商売が10円分の損になっても、このことを

貴重な経験として学習できるかもしれません。

そして、次に行う商売で100円を使い、失敗を活かした商売を果たし、

120円になって取り戻せたら、その人は商売上手ではないでしょうか。

 

ここで商売上手な人の、ひとつだけですが、その能力を挙げました。

商売をするのは人です。そして、その人が何かしらの点で優秀ならば

その点を利用して、儲けをあげ続けられるわけです。

 

しかし、人ひとりだけでは進まないのが商売です。

商売をするのに、必要な道具や物があると思います。

あるいは、商売をする商品を売る店や、商品を製品として生産する工場、

生産した製品を店まで届ける物流拠点や業者…。

自分の商売をとりまく環境はあれこれあります。

 

 

そこで例えば、儲けをだす商品を作る、工場を例にあげてみます。

 

現状の設備においては、1日に1000円で1500円の成果を出している。

そこでもし、最新の設備を10000円で揃えられたとしたら、

1日に1000円で2000円の成果を出せるようになる。

 

ここでの「もし~だったら」が厄介なのですが、それはさておき。

最新の設備を出して導入すれば、1000円の元手で返ってくる儲けが

1日で500円から、同じ1日で1000円となります。

1週間は7日間なので、前者の週間の儲けは、500円×7日で、3500円。

後者の週間の儲けは、1000円×7日で、7000円。

圧倒的ですね。後者は前者の倍の儲けです。

 

「もし~だったら」の未確定条件を省いて考えれば、

最新の設備を揃えたほうが、現状の倍の儲けが上がります。

今後の儲けの向上を目指すには、この設備を買うのは間違いなく必須です。

それを買うにはお金がかかります。しかし、それを買えば、

今後の儲けが見込める。これを投資というのだと思います。

 

以上の話の流れで、人は上手に商売し、成果をあげています。

そして、その成果をあげるために、上手な設備投資をし、さらなる成果をあげる。

今回の商売における成果の挙げ方は、まず儲けを出すこと。

そして、次なる儲けのために、確実な投資をすること。

人が仕事をし、成果が成果を呼ぶような、良い循環がありますね。

 

働く人が具体的な成果や貢献を果たせなければ、

金銭的な儲けを生み出せず、儲けを生み出すための投資もできません。

儲けがないのですから、投資するお金がなくて当然です。

会社に流れるお金が無ければ、そこで働く従業員たちに出す給料さえ

無くなるわけです。なぜなら、元手に対する儲けがないからです。

 

会社や商売において、人が成果をあげられなければ、

もしくは、人を工場に置き変えても、成果をあげられなければ、

儲けるための要素が死にます。要素同士の流れも死んでいきます。

ひいては、人だって死にかねません。お金がないわけですから。

それでは困ります。最低でも、儲けのための元手と、

その結果として入ってきたトントンでなくてはいけません。

 

出て行くお金と、入ってくるお金が、最低でもトントン。

これは会社や組織だけに当てはまらず、個人の生活でも同じです。

今月の給料で、来月の生活をするわけですし、

これまでに貯めたお金で、これからの生活をし続けるわけです。

 

しかし、貯金がなければ、今後の生活は今後の給料で

まかなわなければなりません。いまあるお金は、これからのためのお金です。

仮に貯金がなくて、いまお金がなくて、しかし次に

お金が入ってくれば、それで食いつないでいけるかもしれません。

 

それはどうにも不安定な生活に感じます。

いまという現在でさえ「もし~だったら」という

未確定事項が常につきまとうからです。

もし怪我や病気をしたら、仕事ができなくなるかもしれない。

もし会社が儲かっていなかったら、仕事がなくなるかもしれない。

 

かように個人でさえ、金銭の出入りが不安定になったらまずいわけです。

「もし~だったら」の威力は絶大なのは、現実にもとづくからだと思います。

それは会社も同じです。もちろん、会社で細分化された組織も職場も同じです。

お金がなかったら、まずい。お金を稼げなければ、まずい。

稼げない人とされたら、仕事を外されるかもしれない。

 

じゃあ、どうすれば良いのか?

成果をあげれば良いんです。

そのためにやれば良いことを見出し、成果が上がるまでやれば良いわけです。

 

これをこうすれば成果が上がるな、という事が分かったら、

それだけでめちゃくちゃ有利な立場にいると思います。

なぜって、やれば良いことが分かっているからです。

 

成果をあげるための方法や目的を見出すために、

ヒト・モノ・カネ・情報の経営資源を活用することも当然です。

なぜって、儲けの出し方が分かれば、それをやるだけで儲けを出せるからです。

もちろん、元手と儲けの割が合わなければいけませんが。

最低でもトントン、というのは、元手と結果を比べて

割に合うか合わないかの最低限の状況をいっているわけですね。

 

 

ここまできて、最初に提示した本題と、おおきくずれたことに

いまさらながら気付きました。今回の話は、この仕事を果たす人材について

話そうと思ったのでしたが…その前提の、うまい仕事についての

定義に終わってしまいました。

 

まずい。

成果をあげる人材の、いくつかあるであろう、ひとつの条件を

この記事では書けた、ということでごまかそうと思います。

 

うまい思いをしたければ、うまい成果を出す必要があります。

だから、うまい仕事をしましょう。

 

逆に、うまい仕事をしなければ、少なくとも利益追求が主体の

組織では、うまい成果をあげられない人材、という扱いになると思います。

すると自然と、そこでは必要のない人間、と思われてしまうでしょう。

成果があげられず、儲けが出せず、仕事ができず…

それでは能無しです。能無しが成果を出さないなら、

能無しに出す給料も無いでしょう。

 

給料が出なければ、生活ができないと思います。

うまいどころか、まずいです。

だから、うまい仕事をしましょう。

もっといえば、仕事におけるうまみを見出しましょう。

うまみを考えましょう。生み出しましょう。実践しましょう。

これに尽きます。

 

 

 

読んでくれまして、本当に有難うございます。