26歳になって

朝晩がすっかり涼しくなってきました。

昨日のゲリラ豪雨が、異常気象でありながらも、気温をぐっと下げてくれました。

 

先日の誕生日を迎えて、26歳になりました。

成長というものが、なんとなくではありますが、分かってきました。

いまの自分と、去年の自分や一昨年の自分とをくらべてみると、

なんだか変わったなぁと思います。あるいは、確立してきたというか。

しかし、あくまでも、去年の自分といまの自分は確実につながっていて、

一昨年の自分からもまた、いまと地続きだな、と確信しています。

 

成長において、しみじみと感じるのが

一段抜かしや、一足飛びはありえないと、強く思うようになりました。

経験を重ねる必要性とともに、年齢を重ねる必要性や

それらの重みを感じるようになりました。

 

 

物事には段階があって、易しいものから難しいものへと

高まったり深まったりします。難易度や専門性で段階を分けられます。

また、物事には分類があって、この物事はこの部門、

あの物事はこの部門でなくてあの部門、という風に

種類の違う物事を、それぞれに分類して、横に並べられます。

 

生きていれば、いろんな物事に直面していきます。

初体験の物事にも、経験済みの物事にも、必ずぶつかって

自分なりの経験として、人生に重ねていくわけです。

 

どんな物事にも、いざぶつかってみると

上述した分類や段階を、感じることができるはずです。

あぁ、これはこういう物事だな、という種類分けや

あぁ、これはこのぐらいの物事だな、という段階の判断を

意識して行ったり、無意識に行ったりします。

 

現状では、無意識にこれを行うことが増えたと思います。

無意識に、暗に、以下のことを心身の内側で、頭や心で行っています。

 

1.物事を見て捉えて

2.頭で考えて

3.その意味や意義や価値を自分なりに測って

4.仕事か私事か、勤めか務めか努めか等、を種類分けして

5.行動すべきかすべきでないかを定めて

6.行動すべきことのリストアップを行い

7.行動すべきでないけど意識することのリストアップも行い

8.行動すべきことの優先順位付けを行い

9.行動する。もしくは、そのための準備をする

 

こんなことをしているなあ、と思うようになりました。

これらは、自分では腹落ちしている物事なので

腹からも心の底からも、こういうことをしているし、

こういうことをしているな自分、と思っています。

 

この物事に対するアプローチは、自分なりの経験からくる

ノウハウだと思います。生き方の型、とも表現できそうです。

 

考える、ということを信条にしようとしていたのですが、

どうもそれは生き方においては、枝葉の部分だったと

今は思います。考える前に、物事に気付き、見て、捉える、

という一連の流れが出来なければ、考えるに至らないと思います。

 

 

これら一連の流れを、あらゆる物事に直面した

その瞬間に、誰もが必ず行っているはずです。

この行動や思考の、源泉ともいえる流れは、

人間としての本能ではないかと思ってます。

行動と思考をもたらす、基本そのものというか。

 

そして、これらの一連の流れは、

環境と自分と、他者と自分と、自分と自分と、

その時の場面での自分として、行い、果たしていきます。

この場面が特に変化に満ちていて、実に厄介だと思います。

場面が変化し、自分も変化し、自分が変化し、場面が変化し…

この繋がりと重なりあいが、自分にとっての人生や経験となり

場面にとっての過去や歴史の蓄積になると思います

 

 

物事の観察と洞察、その種類と段階の判断の話から

一足飛びはありえない、と前提しておきながら、

ずいぶんと一足飛びの内容になってしまいました。

それからあいかわらず、随分と個人性の話というか、

自分の中の話になってしまいました。

 

そんなことがつらつらと思い起こって、

こうして言葉に変えて、文章に構成できたこと。

これがとりあえず、生まれてから生きてきた経験の

結果だと思い、わるい人生じゃないなぁ、と思ってます。

もっと考えられて、もっと感じられて、もっと言葉にできる。

そんな人生にしたいと思います。