辞めたかった

あっという間に5月が終わりそうですね。

ある占いによれば、今月は人生で最大級に運気が高まっていて

何かを始めるなら、いまが一番! という時期だったそうです。

 

 

運とは、無自覚に巡り合わせてやってくるものなのか。

それとも、行動によって手に入れられる、結果なのか。

どちらの定義も正しそうですし、どちらも正しくなさそうです。

運を理由とするのかどうかは、人それぞれでしょう。

 

 

私は去年、仕事を辞めようとしました。

理由としては、その時の状況と仕事が行き詰まったからです。

仕事に進展が見て取れず、さらには、自主的に進展をはかることが出来ず

辞めたいです、と職場の上司や最高責任者に告げたのでした。

 

状況が悪かったからというのと、状況が仮に悪かったとしても、

自分なりにそこを打破できなかったからというのは、

たぶん、両方が辞めたいと思った理由にあたると思います。

状況が絶望的だったのか、そうでもない状況に対して、自分だけが

絶望的だったのかは、いずれにしても、絶望したら終わりだと思った、というわけです。

 

とかく絶望的に思いつめていました。

ただ、辞めたいというだけで、次の仕事を選んだり準備したりするわけでもなく

ただただ、辞めるということに確実性を見出していました。

絶望の虜というよりは、やだやだと駄々をこねる子どもに似ていたと思います。

ないものねだりをしていただけだと、今では反省しています。

 

上司や最高責任者には、苦くもほろ甘い慰留の言葉をかけてもらいました。

次にやりたいこともないまま退職をした人間なんて、ましてや

社会人3年目の能なしに近いお前なんて、社会は受け入れてくれないぞ、と。

 

 

そんなことがあったのが、もう去年のことになります。

それで、結局は、私はいまの会社に残ることにして、辞職はしませんでした。

 

 

なぜ、私はそんなに辞めたいと思うようになったのでしょうか。

それは、今の仕事の行き詰まり感を、具体的に分析したり、解決を試みたり

打破する力がなかったからだと思っています。その時も、わずかではありますが、

本来ならば、辞めるよりもまずは、問題の解決をはかるべきでは? と思っていました。

 

あるいは、仕事は生活のためにするものだと、

少しでも割り切るべきだったかもしれません。

ひどい目に合えども、生活が圧迫され続けたわけではありません。

むしろ、その時はその以前にくらべれば、サービス残業が減ったくらいでした。

 

 

しかし、何より私が執着したのは、私自身が、いまの仕事を通じて

成長ができない、能力が伸ばせない、という点でした。

自分の成長、という点にばかり、意識が行っていました。

このことが、転職先に選んだ会社が、コンサル会社だったことの

理由になっています。

 

もっとも、転職をするといっても、以上の私の場合では、

思いつめた末に逃げだしたようなものです。

何はともあれ、問題に直面したとき、それをどうにかする力量や器量がないのに

どうして次の会社が拾ってくれるでしょうか。

 

 

私は、私の成長というものに執着するわりには、

もがき苦しむことが成長につながると、過去に経験していたわりには、

結局、そのチャンスを自ら絶とうとしていただけなのかもしれません。