考えの器
あっという間に4月も下旬。
ちょっと前まで、桜が咲いたとか騒いでたんですけども。
前回の日記が、自分でも恥ずかしいと思うようなものでして。
とにかく切実で、でも、それだけに具体的で。
そしてなにより、そうやって考えている人は身近に多いし
きっと社会にも大勢いるんだろうなあ、とも思います。
しかし、考えてはいるものの、それをどうやって
言葉や行動に導き出しているかが問題です。
どんなに頭の中で、考えや思いや悩みをめぐらしても
行動や言葉や態度に変換できるかどうかは、別です。
そこが面白いと思います。
誰もが、性格や魂や欲を持っていて、ときにはそれが荒ぶって
そのために考えをめぐらすことがある。
考えるための器(脳や欲)があったとしても、欲が主導権を握って
欲のために、頭脳と行動を駆使する場合があると思います。
で、そんな欲のための思考と行動が、外に出てきて
社会に晒されたり、誰かに出したりしたとき、
「どうしてそんな言い方(考え方)をするの?」
なんて反応が起こる場合があると思います。
理解されなかったり、納得されなかったりするわけです。
せっかく考えられたのに、せっかく頭でめぐらしたのを
言葉や態度に出したのに、でも、受け入れられない時です。
その時、そんな反応をどう消化して、新たに考えや悩みや行動に
結び付けられるかどうかが、ポイントになるよな、と思うわけです。
そんな肌寒い朝です。
もっと具体的で小さくて解決可能なことを、考えたり行動したりしたいのに
つい、こんなことを考えてしまいます。
テーマの設定下手というか、下手をすれば命知らずというか。