結果としての数字、スタートとしての数字

結果を端的に示したければ、数字がいちばんです。 
結果を構成し表現するのは、数字がいちばん具体的だし客観的です。 


が、数字の根拠を説明しなければならない、となった場合には 
さらに具体的な数字をもってくるか、数字を構成する要素を 
もってくるしかないと思います。数字が働きの結果である以上、 
数字を具体的に見たければ、働きそのものに着目し、 
アプローチしていくしかないと思います。 


ある結果をあらわす、ある数字を、細かく具体的に見る… 
ということをするということは、以下の流れになる、と思います。 
この数字とは、何が、どうして、こうなったから、 
結局はその数字になった。という流れです。 


提示された数字を見て取り、それで数字の内容を把握したつもりに 
なるのは、把握というには大雑把すぎると思います。 
例えば、財布の中の金額が、1万円だとした時。 
これは多いのか少ないのかを判断するには、まだあまりにも 
早すぎると思います。給料前か給料後か、何かの支払前か支払後か。 

数字自体に意味はありません。 
数字に意味が発生するのは、あくまで数字をとりまく状況によります。 

その時、その場所、その前後、その理由、その方法… 

その数字は、なぜその数字となったのか? 
それまでの数字はどういう意味があったのか? 
その数字を踏まえた、これからの数字はどうなるのか? 
これからの数字を想定したところで、具体的にどうしていくのか? 
その数字を何らかの目的に対する、元本とするのか? 

 

数字という結果から、?マークが出てきた時。

そういう時は、数字を受け止めて、次へのスタートを認識できた時だと思います。


数字で物事を見ることができた。 
数字で物事を把握することができた。 
なるほど、現状のあれこれは、こんな数字なわけか、と。 

で、どうするの? 
その数字をもとに、どうしていくの? どうしていきたいの? 
どうしなければならないの? 

と、数字という表現が結果なら、 
数字という表現が新たなスタートになるんだと思います。 
数字で見る、というのは前提なんだなと心底思いました。 


結果を定義して、次の行動の指針とする。 
そんなことを、少しでも分かったように思います。 
そんな日記。前もちらちら書いてたような気がするけど…