不自由と自由のあいだに

激動の人生を送っています。
自分も周囲も、どんどん変化している。


私の追求していく物事の中に
「考える」という物事があります。
これを追求すれば、きっと何かある、と思っています。
いままでも、考えることで得たものはたくさんありますし
いまさら、考えることを放棄することはできません。

しかし、お前は考えすぎている、と先輩に言われました。
ありもしないこと、起こりもしないことを、勝手に自分で
考えたり悩んだりして、苦しんでいるだけじゃないのかと。


確かに、考えることは悩むことと紙一重の行為です。
これらを区別しようとすること自体、考えてるのか悩んでるのか
もう分からなく(区別できなく)なってしまいます。

そこで、思考法というものを用いるのだと思います。
私が好きなのは5W1Hです。他にはロジカルシンキング
ゼロベース思考や水平思考なんてものもあります。
ただ、いずれも使いこなせているとは思えません。
いずれをもミックスして、使っているような気がします。


とかく、何に対しても、考えてしまう。
悩んでしまいがちだから、方法や手段を用いて、
能力としての考える行為を高めようとする。
では、なぜわざわざこうまでして、考えるのか?
あるいは、考えてしまうのか?


問題を解決したいから、というのもあります。
もっと突き詰めると、不自由な現状を自由に変えたい、
というのが一番大きいんじゃないかと思います。
もっとうまくやりたい。また、うまみが出てきちゃいましたね。

どうでもいいということ、意識さえしていないことは
まるで考えていない自分がいます。
あるいは、そういう風に感じたり、諦めたりしたら
なるべくすぐに考えることを止めることにしています。
考えても無駄だ、ということで、頭や気持ちを犠牲にしない、
なんていう思考停止も、大事だと思っています。

しかし、これだけはどうにかしたい!
具体的な行動を起こす前に、その行動をうまくするために、
考える! ということだけはやめられません。

なぜか?
うまくやりたいと思えることだからです。
いまは不自由でも、いつかは自由にやってのけたいからです。

考えるという行為は、不自由を感じたときに、
自由を目指して、始まるんじゃないかと思いました。
それは、絶望を知った時に、希望を求めるような
そんな行為だと、ちょっと明るくポジティブな
行為だと思いました。前へ行くために、考えよう。