人生の扉

あっという間に8月も中旬ですね。
朝晩がちょっとずつでも、ちょっとだけでも
涼しくなったと思います。


以前、得たものは自分の存在意義だと書きました。
しかし、どうやって得たのかとか、どうしてそうだと
感じ取れたのかというのは、いまいち書ききれませんでした。

人は生まれてから死ぬまでのあいだに、
生き続けて、死に行くものだと思います。
そして、その生命が生きて死ぬまでのあいだに、
人はその人の、人生を生きていくのだと思います。

では、人生とはなにか?
生まれ出て、死に行くのが、人生の前提ならば
人生そのものとは、何なのか?

それはきっと、自己表現だと思います。
表現の途上、続き、完成。
その流れが、人生が終わるまでの、
人が生きて、死ぬまでのあいだにやること。

そこに命があり、生きていることを、表現すること。
自分が何者かを表すのが、命のもとに生きるということ。
表現のぶつかり合いが、他人との間に生きるとか、
社会そのものとか、社会に生きるということとか
なんじゃないかとも思います。

そして、私は仕事を通じて、
自分を表現し、受け入れてもらえたのかな、と思います。
受け入れてもらえて、返ってきたものがたくさんあります。

好きな人の笑顔や、好きな人との関係。
笑顔を保つための価値観や、そのためのこちらからの表現。
嫌いな人の生きざまや、その表現のありかた。
嫌いな人や物事と、うまくわたっていく、処世術。

好きに使えるお金や、使って分かる意義やありがたさ。
使って得たものや、失ったもの。
次にほしいと思える何かや、そのためのお金。


いまの自分を、できるだけ、せいいっぱいに
生き続けて、働き続けて、表現し続ければ、
また新たな自分に出会える。
そのためには、いまの自分を大切にしないといけない。

歯を食いしばるのも、唇を噛み締めるのも、
時には涙を流しても、止められない涙や感情も、
いつかのために、こらえないといけない。
あわよくば、そんな苦労にさえ、慣れてしまえば
うまく割り切れるようにもなれる。


新しい自分は、社会の中にある。
誰かとのあいだにある。
生きている自分は、死に行く自分の中にある。
いまの自分は、生きている。自分の人生を生きている。


それが、存在意義を表現するということ。
そして、それをうまく伝えて、受け取ってもらうということ。
さらに、伝えてもらえるということ、返してもらえるということ。


生きるための自己表現、できて良かったな。
そのための、見るとか、聞くとか、感じるとか、
考えるとか、喋るとか、書くとかいうことで、ね。